中華圏の巨龍たち

1958年、邵逸夫(ランラン・ショー)氏は香港に「ショーブラザーズ(香港)」を設立した。当時の香港映画は中国本土の影響を受けたプロパガンダ色の強いものばかりで、一日の疲れをいやすにはほど遠い代物。大衆は娯楽に飢えていた。ハリウッド映画をまねたショーブラザーズの大衆映画は瞬く間に市場を席巻。ショー氏は質の高い作品を次々と生み出す一方、「金になる映画作り」に徹し、香港映画を一大ビジネスに築き上げた。

ショー氏は株や不動産の投資も抜け目なかった。株は底値で買い値下がり前に売り抜け、映画館を作るときは人が集まることを見越してあらかじめ周辺の土地を購入した。こうして増やした資金を元に1967年、テレビ事業に乗り出し、香港初の無料視聴テレビ局TVBを共同で創設。芸能人の育成を行った。

ドケチから慈善活動家に
絶頂期にはショーブラザーズは香港の映画館の半分以上を押さえ、自社の映画製作所では役者や監督を含むスタッフ約1800人が撮影に明け暮れた。
だが、吝嗇家(りんしょくか)の一面もあり、出演料をねぎったことでブルー・スリー(李小龍)とホイ兄弟の作品を取り損ねた。ブルー・スリーとホイ兄弟はショー氏のかつての部下が設立した映画会社「ゴールデン・ハーベスト(嘉禾)」に流れ、映画はともに大ヒット。さらにゴールデン・ハーベストはジャッキー・チェン(成龍)でまた大ヒットを連発。ショーブラザーズは1987年以降、映画製作を行わなくなった。

その後、体調を崩し長患いをしたショー氏は一転して慈善活動に力を入れるようになる。中国本土、香港、台湾、シンガポール、マレーシアなどに寄付を行い、英国のナイトの称号を得る。中でも中国本土の教育機関への寄付は突出しており、25年間で計47億5000万香港ドル、4888棟の校舎、図書館などが建設された。建物にはすべて「邵逸夫」の名が付けられている。

毎朝5時起床、90歳で再婚
ショー氏は1980年にTVBの筆頭株主になるとともにCEOに就任。TVBは周潤発(チョー・ユンファ)や周星馳(チャウ・シンチー)、梁朝偉(トニー・レオン)、劉徳華(アンディー・ラウ)、劉嘉玲(カリーナ・ラウ)など多くの大物スターを輩出し、香港最大のテレビ局に成長した。香港芸能界においてもショー氏の功績は計り知れない。

私生活では1937年に最初の妻、故・黄美珍氏とシンガポールで結婚。婦人の死去後、90歳のときに長年の愛人で当時67歳だった方逸華・氏と再婚した。方氏はTVBの要職を務める。

かつては「夜に1日5時間寝て、昼に1時間寝る以外は仕事」と語るほど仕事漬けの日々ながら、年間700本の映画作品を鑑賞した。70歳から気功を始め、毎朝5時に起きて2時間練習するのが日課だった。兄妹8人の6番目だったことから、香港では「六叔」「老六」の愛称で親しまれた。1月7日付け香港各紙が伝えた。

「香港映画大王」邵逸夫氏死去、享年106歳(上)

ADVERTISING